心のあわい

消えたい夜を越えるたびに

月ノ葉ナト

この記事には、生理・体調不良・死に関する記述が含まれます。
気分や体調に合わせて、無理のないタイミングでお読みください。

季節が移り変わるころ。急に気温が上がって体がついていかなかったり、また下がって上着を羽織ったり。最近の気候はついていくのがやっと。体調を崩さぬように気をつけてはいるものの、どうも少し、体調も心の具合も芳しくはないようだ。

私はもうずいぶん長いこと生理不順だ。1ヶ月以上生理が来なかったと思ったら、20日しないうちに次の生理が来たりする。そして非常に重い。量が多く、生理痛も強い。薬を飲んでも痛みがひかないこともある。子宮筋腫持ちであるので仕方ないとも言える。手術するほどでもない、というのが医師の見解なので。

そして何よりひどいのがPMSである。むくみやだるさといった体調面ももちろんだが、何より心が病む。イライラに落ち込み、無気力。積極的に死を選ぶようなことはないのだが、眠る時は、もうこのまま目覚めなければいいのに…そう思うことは毎度のことである。自分の無力さを嘆き、何も出来ない自分に嫌気が差す。それでも朝はやってきて、他人の顔をして生きろという。だから仕方なく生きる。

何かで読んだのだが、女性が心も体も元気でいられるのは1ヶ月で1週間だという。まさにその通り。私にしてみれば、1週間もないかもしれない。そんなに大変でめんどくさい上に、この世の中も生きづらさ満載である。なぜ生きねばならないのか。

人は何も出来なくても、その存在だけで価値がある。確かにそうだと思う。ただそこにいていいのだ。では、そこにいないことを選択してもいいのでは?どうして人は生きろというのだろう?

私は人が生きることに何の意味もないことを知っている。死は通過点でしかないことも知っている。だからこそ人は自由だ。自分勝手に生きる意味を見つけて生きればいい。決めつけて生きていいんだ。誰が何と言おうと、その命はその人のものだ。

では、死もまた、その人自身が向き合うべき選択肢の一つなのかもしれない。

私はそう、感じている。

私は将来、自分で下の世話ができなくなったら、安楽死の道を選びたいと考えている。できればその時までに日本で安楽死が選択できる世の中になっていてほしいと切実に思っている。死も、自分で選びたいのだ。

最近、母を看取った。父ももう前に亡くなっている。子供の頃から多くの犬や猫を看取ってきた。多くの死を経験してきた。私にとって死は身近で、当たり前のことだった。だからこそ、死について私は軽く考えている。好きに選べばいいじゃないか。

そうして好きに選んだ結果、こうして思いを綴っている。

ABOUT ME
月ノ葉ナト
月ノ葉ナト
自然に寄り添いながら、言葉を綴る人
日々のうつろいと、草花のささやきを感じながら、日々のことを少しずつ綴っています。 言葉にすることで、気付けることがあると信じて。 特に何者でもないけれど、だからこそ自由に、静かに、ここにいます。
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